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銘板に刻まれた弟の昭光さんの名前に触れる堺井昭武さん=2024年6月2日午前11時0分、神戸市中央区の大倉山公園、石田貴子撮影
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 4歳だった弟を亡くした男性は、弟の名前が刻まれた銘板に触れ、「兄としての責任を果たした」とかみしめるように語った。神戸空襲の犠牲者名を刻んだ「いのちと平和の碑」(神戸市中央区)に2日、新たに36人の名前が加わった。

 空襲体験を語り継ぐ活動を続ける市民団体「神戸空襲を記録する会」が2年に1度、碑が立つ大倉山公園で刻銘追加式を開いている。今年の式には遺族ら約70人が参加した。

 神戸市は神戸空襲の死没者の情報を収集し、同会に提供している。会は、碑が建てられた2013年以降、市や会に届けられた犠牲者名を追加している。

 尼崎市に住む堺井昭武(てるたけ)さん(87)は、弟の昭光(あきみつ)さん(当時4歳)を1945年6月の空襲で亡くした。須磨の自宅は全焼。母親と手をつないで逃げていた弟は、焼夷(しょうい)弾の油脂をあびてやけどをした。「亡くなるまで、『のどが渇いた、水、水』と言っていたと聞いた」

 当時、昭武さんは国民学校の…

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